ある日、私(代表理事の中村)は、まもなく支援プログラムが始まる、ある児童養護施設を訪れました。オンラインレッスンに必要な機材のセットアップやテストのためです。部屋の片隅にある電子ピアノの譜面台に、使い込まれた一枚の楽譜が置いてあるのが目に留まりました。

曲は、あの有名な「スターウォーズ」。

しかし、驚いたのはそこではありません。全ての音符の上に、子どもが書いたであろう、たどたどしいカタカナで「ド」「ミ」「ファ」…と、ふりがなが書き込まれていたのです。

どれだけ、一人で練習を重ねてきたのだろう。

どれだけ、レッスンを待ち望んできたのだろう。

その健気な努力の跡に、私は思わず胸が熱くなり、許可をいただいてその楽譜を写真に撮りました。

そして、この一枚の写真を、私たちのパートナー講師である杉本絵梨先生にお見せしたことが、一つの小さな奇跡の始まりでした。

「私の意思を継いで」恩師との最期の約束

杉本先生は、音楽療法士とピアノ講師という、二つの専門性を持つ、類稀な指導者です。そのキャリアの原点には、壮絶な過去と、恩師との約束がありました。

中学生の頃、ピアニストを目指していた杉本さんは、原因不明の難病に倒れます。隔離病棟での闘病生活。関節が固まり、ピアノが弾けない指になりました。「もうコンクールには出ない」と夢を諦めかけた杉本さんを、決して見捨てなかったのが、当時のピアノの恩師でした。

先生が『続けよう』と言って、諦めなかったんです。そうしてピアノを続けていたら、指がまた動くようになったんです。音楽ってすごい、と思いました。

主治医の先生も驚いていました。「こんなことが起こるんだ。ピアノってすごい」と。

「音楽で救われる人がいるんじゃないか」と、その時、中学生の杉本さんは思ったそうです。

その後、恩師が亡くなる一週間前、杉本さんは「私の意思を継いで、ピアノ講師になってほしい」と告げられます。既に大学の専門科に進み、音楽療法士を目指していたため、一度はその言葉に応えられませんでした。

しかし、恩師の死をきっかけに、その遺志を継ぐことを決意します。「音楽療法士」と「ピアノ講師」、二つの道を歩むことを決めた瞬間でした。

音楽は「生きた証」になる

その後、音楽療法士としてターミナル医療の現場も経験した杉本先生。難病を抱えたお子さんや高齢者施設など、多くの出会いの中で、音楽が持つ根源的な力に触れてきました。

好きな音楽を聴いたり、歌ったりしている時、人は本当に“輝いて”見えるんです。それは、その人が、その瞬間、確かに自らの『命を輝かせていた』という、証(あかし)....そのものなんです

この経験から、先生が主宰する「Ototsumugi ー音紡ぎー」の理念である「音を楽しむことは生きる力に繋がる」という言葉が生まれました。

辛いことがあっても、音楽に触れた楽しい記憶や、人と繋がれた経験が、その子の人生を支えるお守りになる。杉本先生は、そう信じています。

ピアノは「恩返し」、そして「愛情返し」

私が施設で見つけた楽譜の話をすると、杉本先生は微笑みました。「あのお子さんが弾きたがっている『スターウォーズ』、じゃあ、私が編曲しますよ」と。そして、ご自身の指導スタイルについて話してくれました。

既存で売られている譜面でもいいんです。でも、生徒一人ひとりのクセや弱いところは違う。その子の苦手を克服させるために、私はレッスンで使う曲をよく編曲するんですよ

それは、先生が普段から全ての生徒さんに対して行っている、深い愛情の形でした。

しかし、その原動力は、生徒の喜ぶ顔が見たい、という想いだけではない、と先生は続けます。

正直、音楽療法士として生きていくには厳しいことも多く、何度もやめてしまいたいと思っていました。でも、諦めずに私にピアノを与え続けてくれた両親と恩師の存在が、『やめるわけにはいかない』という気持ちにさせてくれたんです。

私の音楽は、その二人への『恩返し』であり『愛情返し』でもある。いただいた愛で子どもたちを包むことが、本当の恩返しになると思っています

しばらくして、先生から一通のデータが届きました。それは、「スターウォーズ」のメインテーマを、先生がその子のためだけに編曲し直した、世界で一枚だけの楽譜でした。

もう少し上達したら、この楽譜をプレゼントします。あの子に、ピアノをもっと好きになってほしいです

「弾けたよー!」の笑顔があれば、それだけで私は生きていける。

そう語る先生の、当たり前のように行われる日々の深い愛情が、子どもたちの「できた!」という自信と、人生の忘れられない思い出を、今日も紡ぎ出しています。

私たちの活動は、このような先生方の、計り知れないほどの情熱に支えられています。

【パートナー紹介】

杉本 絵梨(すぎもと えり) Ototsumugi / 音紡ぎ代表。日本音楽療法学会正会員の音楽療法士。 くらしき作陽大学音楽学部音楽療法専修卒業後、カワイ音楽教室での講師を経て、医療施設や高齢者施設で音楽療法を実践。2020年にOtotsumugiを設立し、障がいを抱えるお子様やご高齢の方々への訪問レッスンを行う。教育機関でのセミナー講師実績多数。

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